合気道子の稽古日記

合気道子の稽古日記

40代半ばで合気道を始めた女性のブログです。子どもと通える道場、藤沢合気道会所属。内容はすべて執筆時点の道子の個人的見解です。

気とか触らずに倒すとか article69

※ブログトップにもありますように、本ブログは道子の個人的見解です。デリケートな話題ではありますが、ペーペーの白帯であるからこそ、怖いもの知らずで好き放題言っているな~と温かく見守っていただければ幸いです。

 

こんにちは。道子です。

合気道は、説明が非常に難しい武道だと思います。合気道の稽古を始めたんですよ~」と言うと、色々な反応があります。「腕を捻るんだよね」「本当に、相手に触らずに倒せる人っているの?」「あれでしょ。気とか合気とか・・・怪しくないの?」などなど。

 

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確かに、合気道創始者である植芝盛平開祖や塩田剛三先生のエピソードは、人間離れしていて、伝説の人物に思えるくらいです。こういう先生方は、命の危険にさらされるような修羅場もかいくぐり、人生をかけて鍛錬して、その極みに到達したんだと思います。すごい人、すごい神業は存在したのでしょうが、そんな神業を見られる機会はあまりないです。

例えば、あなたが道場に無料体験しに行きます。初めてなので、もちろん合気道に関しては全くの初心者。体験しても、後ろ受け身の練習や、基本技の練習くらいしか出来ないでしょう。その技も「こう足を踏み出して、こうしてこう」と何が何やら分からないでしょうし、ましてや「一瞬で相手を投げ飛ばす」こともできません。先生はやろうと思えば、あなたのことを「一瞬で畳に落とす」あるいは「すれ違いざまに投げる」ことも可能です。しかし、受け身が出来ない相手にそんなことしたら、怪我させてしまいます。下手したら死なせてしまいます。合気道の理念上、そんな形で自分の力を誇示するような先生はいないと思います。

そういう意味では、合気道はアピール力に欠ける武道だなぁ、と歯がゆいです。空手の場合は瓦割りなど、物理的に強いぞ!と視覚に訴える方法もあります。現代はすぐに効率や成果を求める時代です。「どれくらい強くなるの?」「すぐに強くなれる?」と質問された時に「〇ヶ月で瓦を割れるようになります」なら納得してもらえそう。それに対し「相手と強弱を競うのではなく、心身を鍛えることによって・・・」だと「??よく分からないから、やめとくか」となってしまいそう。

試合を行う武道も多いですが、合気道は試合をしません。となると、演武会などでしか技を見る機会がありません。ここで問題なのは、技をかける方(取り・仕手)も技を受ける方(受け)も同じグループの人間だということです。「やらせでしょ?」「受けがタイミング合わせて飛んでるんでしょ?」と言われてしまう所以です。

自分が経験しないことは信じられないのは普通ですよね。合気道は上級者になるほど、無駄な動きがそぎ落とされて、軽く動いてるだけに見えるのに、相手が吹っ飛ぶなんて「やらせ」と思うのも分かります。でもやらせじゃないんですよ~。どう説明すれば納得してもらえるでしょうか。

稽古を重ねて、受け身が取れるようになると、先輩方も「全」手加減から「半」手加減くらいで技をかけてくれます。すると、全然違うんです。「倒れる」のではなく「倒される」し、「受け身しに行く」のではなく「投げられるので、受け身する」くらいに違います。フルモードで技をかけてもらったら「いつのまにか畳に叩きつけられていた」状態になります。これって、伝説の先生方の神業に近くないですか?

とはいえ、先輩方も別に「神秘の力」を使っているわけではありません。合理的な人の身体の動き方を読み解いて、技は組み立てられています。走っている時につまづいたら、転びますよね?片足立ちの時に、横から押されたら倒れますよね?そういう人間の体の反応と人と人が接する時の理合作用を重ね合わせて、技は成り立っています。

しかし、道子と先輩方の次元が違うから「すごい」し、先生方はもっと鍛錬してるから「すごすぎる」と感じます。ものすごく鍛錬している先生方はきっと、我々凡人から見たら神業の域にまで達するんだろうなあ、と想像がつくのです。少なくとも、粘田君の本のように「読むだけで達人になれる」ことはありえない、と断言できます。(かぐや27 粘田君の本)

 

お読みくださり、ありがとうございました。